日頃の行いは正しかった!? 〜思考回路と運勢と呼ばれるものの関係〜
『日頃の行い』はあながち間違いではない
こんにちは、アリズミです。
最近、自動車教習所に通っているのですがそこで運転の知識以外にも得たことがあったので、この場を借りて紹介してきたいと思います。
ズバリ! 日頃の行いに関して改めて思ったことがあります。
皆さんは、「日頃の行い」というワード自体を聞いたことはあるでしょうか?
運勢とも良く言い換えられていますが、そういった一見実力外からの影響に感じるこういった作用も、実はその人本来の力なのかもしれないと言うものです。
最近、様々な自分の習慣を客観的に見直し修正する=思考停止して過ごさないということを心がけていますが、そういった上でも気づくことは多々あります。
例えば、健康に関する本を読んでいた→健康に対する意識変化があった→飲んでいた飲料を水orお茶or無糖炭酸水に統一した→以前に比べて、痩せた。甘いものを欲しなくなった。
といった上記のような変化の流れがあったとします。
これらは実際に僕の体験ですが、痩せたという結果を辿れば、本を読んだになります。
一見、この二つの事象は関係ないように思えませんか?
これが巡り合わせと大体同じものだと僕は考えています。この主張を踏まえた上で、以降の心がけたらメリットになりうる行為、考え方を紹介して行きたいと思います。
知識に貪欲になること!
知識に貪欲・・・ とは?
あまりピンと来ないでしょうか、ピンと来た方は同じ感じに知識に対して考えている方だと思います。
知識は力であり、財産であり、他人よりも優れることの出来るポイントです。
知識がなければ人間は新しいことへの発展は何も出来ません。現状維持のみの生活でしょう。それぐらい発展には知識が必要不可欠だと思っています。
具体的に、僕は本や、新聞などで知識を取り入れるようにしていますが、知識メタボになるのもいけません。あれこれどんなことにも興味関心を持つことはいいことだと思いますが、この世界の全ての知恵を習得することはまず不可能です。
様々な知識を持つ人がいるからこそ、会社が生まれるのであって一人で全ての技を習得する必要はないのです。
ですが、一個人での世界観で見てみると、知識を欲している人と欲していない人ではどの程度の差が出来るでしょうか?
僕は雲泥の差が出来ると思います、僕も初めの例で述べた通り知識を欲したから結果的に健康に繋がっているのです。
自分の知りたいことは、忘れるのではなく探求して行くべきであり、知恵は財産であるということは常に肝に命じているべきであると感じています。
日頃からのリスク管理
近頃、リスクという単語一つとってもかなり多種類の意味があるように感じます。ここでのリスクは生活における身体的安全面でのリスクをさしていますが、他の子のにも当て嵌めることが出来るでしょう。
例として出しますが、日頃から赤信号を急いでいたら渡ってしまうAさんと、急いでいても赤信号は止まるBさんがいたとします。
信号での事故に遭うリスクが高いのは、どう見てもAさんです。これは極端な例ですが、日頃からこういった習慣は絶対に月日を積み重ねて行くことで顕著にデータとして現れてくると思います。
なので、一回だけ・・・というその考え方がいけないのです。
出来るだけそういったローリスクでも支払わないようにした方が良いでしょう。
外に出る習慣(社交性)
別に引きこもることを否定しているわけではないです、僕も家にいるの落ち着くし好きなので。
しかし、自分の知らない世界に触れるというのは新鮮でかなりリフレッシュにもなりますし、日本人の国民性も相まってそういったことは意識していないと毛遠してしまう傾向にあるように思えます。
違う意見、生き方、考え方を持った人たち、違う生まれ育った国の人など人脈に多様性を持たせましょう!
大人になると、体感時間がやけに早く感じるらしいですが、これは子供の時にはあった新鮮な新しいものへの関心が薄れるからだと言われています。
体感時間の変化に関しては、別の記事でまとめているのでよければお読みください。
今日とは違った明日を日々意識していけば良いと思います、思考停止しないというのと少し一致しますね!
最後に
まとめになりますが、人生は日々の積み重ねであり、急に人生が急ブレーキをかけることも急発進することもあまり無いように見えてあるかもしれません。
ですが、それも今までの自分の行いの延長線上にある1つの結果なのです。
いつ何が起こるかなんて誰にもわかりません。だからこそ、今この瞬間を一番強く意識し、その延長線上を見据えて生きる必要があるように感じます。
最後までお読みいただきありがとうございました。
よければ、貴方の意見などコメントをお待ちしております。